こんにちは。
北浦和理容室の理容師ブログ!
スマイルヘアーのエダです。
今回のテーマはちょんまげ。
日本人なら見たことがある
あの髪型です。
知ってはいるけど
調べるほどでもない内容を
今回は分かりやすくまとめてみました。
ちょんまげの正式名称~北浦和理容室の理容師ブログ~
・「ちょんまげ」の正式名称は
月代(さかやき)という名前です。
・月代という名前が付いた理由
頭を剃り始めた当初、剃った部分が半月のような形をしていた。そこから月代という名前が付いた。ちょんまげが出始めた当初だと、剃る幅が違ったみたいですね。
何故髪の毛を剃り始めたのか??~北浦和理容室の理容師ブログ~
そもそも、何故髪の毛を剃る必要があったのか??ちゃんと理由がありました。それは平安時代から始まったようですね。平安時代の貴族が鳥帽子を被る時に、前髪が帽子から出ないようにする為に剃刀で半月状に抜いていた?という記録があります。そこから前髪を無くす歴史が始まったみたいですね。現代で言うと、スキンフェードの2ブロックを半月状に前髪に入れるような形になるんですかね。もし、鳥帽子を被る機会があったらスタイリストさんにお願いしてみましょう!
日本の湿度とちょんまげの関係~北浦和理容室の理容師ブログ~
平安時代から鎌倉時代にかけて戦が起こり始め、武士が冠や兜をかぶり始めた。そこで日本の湿度の高さから、兜には頭頂部には通気口が設けられていたようです。その頭頂部の通気口に合わせて髪を抜き始めたのが月代の進化系という事です。ここで注意が必要な事が、戦国時代は剃っていたのではなく、毛を抜いていたという点です。武士は流血しながら月代を作っていたんですね。
鎌倉時代から、ちょんまげが流行~北浦和理容室の理容師ブログ~
戦国時代に入り、武士の活躍と共にちょんまげの形が流行し始めたと言われています。戦が続く事によって、日常的に月代を作るようになっていきました。重い兜の通気性とクッション性を兼ねそろえていたんでしょうね。室町時代に入り、武士が戦場に赴くための覚悟の一つにもなっていました。勝手な考えですが、節目節目で髪を切る日本人の風習は、ここからも来ているようにも思えますね。
江戸時代に入り、町人もちょんまげに~北浦和理容室の理容師ブログ~
室町時代は武士の髪型として流行をしていました。江戸時代に入ると、若い男性は銀杏髷(いちょうまげ)年齢を重ねて髪が少なくなってきたら、ちょんまげにしていたという事です。江戸時代の町人(江戸っ子)はオシャレに気を遣っていたらしく、散髪屋が町人のコミュニケーションの場として流行っていまdした。職業によっても髷の形や大きさを変えていたみたいですね。
ちょんまげの由来~北浦和理容室の理容師ブログ~
髷の形が「ゝ」の形に似ているからちょんまげという名前が付いた。
明治時代から減少する髷~北浦和理容室の理容師ブログ~
江戸時代には成人したら、ちょんまげを結う事が強制されていました。しかし時代が変わり1871年(明治4)8月9日、政府が開化政策の一つとして発した散髪脱刀礼。江戸時代末期の幕末辺りから髷ではなく散髪をする風潮になっていきました。刀を持つのも、髷を持つのも強制から自由へというながれですね。開国と共に洋式の軍制が取り入れられて髪型が自由になりました。一部では髷を厳しく取り締まり、それに反発した一揆もあった様です。この辺りから髪型も世の中の流れが洋式に変わっていったみたいですね。
まとめ
フェードカットの歴史も戦争から
ちょんまげの歴史も戦から
人類の歴史は戦争の歴史
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